熊本市の概要
熊本市は九州の中央、熊本県の西北部に位置し、、熊本城の城下町として栄え、自然・歴史・文化の街と近代的な都市が特徴です。政令指定都市の福岡市・北九州市に次いで、九州第3の拠点都市です。
熊本のあゆみ
遥か昔、数々の地表の変動でそれまで大部分は海底にあった熊本平野が形成され、湧き出る泉は、当時の縄文人・弥生人の集落の形成に大いに貢献します。大化改新が行われた飛鳥時代、三宅郡(今の出水地方)に肥後の国府が設置、これを中心に街が形作られたといわれています。
農産物産の出量で全国でも優位の資格を認められ、「大国」に昇進するのは奈良時代、この時に国司として、肥後に赴任する事になった道君首名、紀夏井、藤原保昌、清原元輔は現在も数々の遺跡を残しています。
日本三名城の一つとして名高い熊本城は、加藤清正が慶長6年(1601)より7年の歳月を費やして築城させたもので、加藤清正は、河川、その他の土木事業にも大きく貢献します。(熊本城の着工時期には諸説あり)
寛永9年(1632)に加藤家が断絶した後、200有余年間にわたって肥後熊本の政治を行ったのは細川氏です。延亭4年(1747)、8代藩主となった重賢は、藩校「時習館」、医療・教育機関の「再春館」、薬草研究の「蕃滋園」を設立します。これら施設は熊本市が文教の府と呼ばれる事になる大きな一因となり、また忠利が創建した水前寺(成趣園)は、熊本市の貴重な観光資源の一つと言われ、晩年を過ごした宮本武蔵の遺跡も、誇りの一つです。
廃藩置県が行われた明治4年(1871)は、熊本と人吉の二県が置かれ、同年11月に熊本、八代の二県となりましたが、翌明治5年(1872)は、再び白川県と改称し明治6年(1873)1月には八代県が廃止、白川県と併合し、肥後全域は白川県の所管となります。熊本市には県庁が設けられ、明治9年(1876)1月まで続いた白川県は、同年2月に初めて熊本県と称せられるようになりました。明治30年代に入り市区改正が行われ、中央部にあった山崎練兵場は市外に移転します。そこに新市街が出現します。会社、商店、そして工場などができ、大いに賑わいます。
大正時代に入ると、周辺の町村11箇所と併合、熊本市の基礎を固め、私鉄、国鉄、市電等の開通、そして上下水道施設の充実等、近代都市へ躍進を進めますが、昭和20年、太平洋戦争に入ると熊本市も空襲の被害に見舞われます。そして終戦、熊本市全市民の努力で幾多の苦難を克服、今日の熊本市に至ります。
熊本の名前の由来
様々な諸説がありますが、定かではありません。熊本の「クマ」は大昔、「崖の下」という意味で使用されており、「モト」は「湿地」を意味する「ムタ」が元だといわれており、それらが組み合わさってそう呼ばれるようになった説。また、遥か昔、高句麗(コマ)から渡来した人々の本拠地だったので「コマモト」と呼ばれるようになった説等があります。
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| 熊本の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
熊本市役所教育委員会博物館 |
| 住所: |
熊本市古京町3-2 [地図を見る]
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| 電話番号: |
096-351-4257 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
月曜日、年末年始(12月29日〜1月3日) |
| 入館料: |
大人・高校生300円(240円)
小・中学生100円(80円)
※()内は、30人以上の団体割引料金 |
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